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勉強で競うということ/勉強をするということ/進学するということ

どんな分野でも、競うことはとても大切です。モチベーションになります。

 

近年の学校教育では、勉強は競うものではないという考え方が中心です。テストのランキングは出されませんし、偏差値すら教えてくれない学校もあります(学年順位なんかは、聞いても頑なに教えてくれません)。

 

勉強もスポーツと同じで、誰かと競争したり順位を上げていくことが、大きなモチベーションになるのは確かです。特に上位層にとってみれば、小中学校の授業は非常に簡単かつ単調で、「たったこれだけのことに、なんで50分もかけるの?」と内心思っています。ただ、内申のために(ダジャレではない)、おとなしく、ときに前向きな様子を演じ続けているわけです。それも社会の仕組みっちゃー仕組みですが、何年も我慢し続けるのも、なかなか大変なものです。

 

勉強で点数や順位で競うことには、確かに弊害もあるでしょう。学校が順位を競わせないことにも一定の理解はできます。一方で、こと上位層に限って言えば、競わない弊害のほうが、はるかに大きいと感じます。

 

勉強を頑張っているのに、「それは自慢することじゃない」「誇ることじゃない」「まして順位で競争するなんてもってのほか」と言われ続けて、どうしてモチベーションを維持することができるでしょうか。「勉強が得意な子は勉強をがんばる」でいいはずなのに、これでは可能性の芽を摘んでしまうことになります。大げさに言えば国家的機会損失です。

 

勉強をすることには、多くの場合、孤独な作業が伴います。でも、誰かと競っていたり、点数を見て勝った負けたって言い合ったりする相手がいたほうが、はるかに楽しいはずです。負けても弱点を克服して次勝てるように頑張って臨む。スポーツとまったく同じだと思います。逆に考えてみましょう。なぜスポーツは点やタイムを競うのか? それが決着のつけ方だし、それが一つの目安であり、目標であり、次へのスタートになるからです。勉強でも同じだと思うんです。

 

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実際、研究などの分野は世界中で競争しています。同じ発見をしても、論文や特許を1秒でも先に出した方が勝ちというのが研究者の世界です。勉強は、我々が思う以上にシビアな競争社会へとつながっているのです。

 

ところが、日本の学生はとにかく受け身である、とよく言われます。

 

第2回 「大学生の主体性」をどう育むのか|ベネッセ総合教育研究所

ちょっと古いデータですが、上記のベネッセ記事でも述べられています。多かれ少なかれ、若者に何かを教えることを生業にしている方は、みなさん感じていらっしゃるのではないでしょうか。

(アクティブラーニングを進めているにもかかわらず、学生の受け身姿勢が強まる傾向にあるというのは、なんという皮肉というか。)

 

理由については、さまざまな論考がありますが、塾という立場から見ていて思うのは、「勉強ができることは悪いことだ」という極端な考えが、いまだに現場には蔓延っているのが一因ではないかということです。

 

令和の世になって、いまだにそんなこと言うん?っていう「ママ友から言われた」話の例をいくつか挙げてみます。

 

・「小学校から塾? そんなに勉強させてかわいそう」

・「勉強なんてできても将来役に立たないのにね」

・「勉強ができる子より、商業とか工業に行って高卒で働く方が立派」

・「スポーツやってる子の方が礼儀をわきまえてて偉い」

などなど。

 

う〜ん、いまだにそんなこと言う人いるのかーって感じです。

 

 

小学校から塾で勉強するのがかわいそうという発想は、そもそも「勉強=苦しいもの・嫌なものに決まっている」という考え方が根底にあるからでしょうし、勉強が役に立たないと思っている方は、勉強を役立てていないだけでしょうし、商業・工業に行って早くから働いているのは立派ですが、大学行ってから働くのも立派で、比較対象ではないですし、スポーツをやってるから礼儀を知っているとはとても思えない子もたくさんいます(礼儀は家庭でしつけるものであって、スポーツクラブで教えてもらうものではないはずです)。

 

 

スポーツで得られるものがあるように、勉強で得られるものもたくさんあります。

 

視野を広げること、世の中のいろんな仕組みに気づくこと、先人たちの知恵を学ぶことです。そして生きることが豊かになります。読める本の幅も広がりますし、見たい映画やテレビ番組も増えます。話してみたい人も増えるし、行ってみたいところも増えます。勉強するって、そういうことだと思います。世界を一つの絵だとするならば、その色が何色も何百色も増えて、より美しく、繊細に、ときに残酷に彩ってくれるのが勉強というものです。素敵だと思いませんか?

 

 

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そしてもう一つ、勉強の結果として学歴を手に入れることができます。

 

日本は良くも悪くも学歴社会です。特に大企業ほどその傾向は強いのは疑いのないところでしょう。

 

なぜ大企業は学歴を重視するのか。

 

それは、学歴を持っている人は少なくとも

・勉強する、研究することが好きな人である

・嫌いなことでも我慢して計画的に取り組み、成果を出せる人である

このいずれかに当てはまるからです。

 

これらは企業活動を行う中で非常に重要な要素です。良いか悪いかじゃないです。そういう人が(とりわけ大企業では)役に立つからです。もちろん実際働いてみたら全然ダメってこともあるでしょうが、そのリスクはかなり減らすことができます。企業というのは、そういうものなのです。

 

ということは、学歴があった方が選択肢が大きく広がります。学歴がないと大企業は受けることすらできませんから。

 

もちろん、大企業の方が幸せという話ではありません。大切なことは「自分で選べる」ことにあります。学歴がないだけで受けることすらできない会社がある。できない仕事がある。それはもったいないことです。本当なら活躍できたかもしれないのに。新しい製品を開発していたかもしれないのに。たかが学歴がないだけで、トライするチャンスすらもらえない。もし可能なら、できるだけたくさんのチャンスを持たせてあげたいですよね。

 

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と、テスト前日に慌てふためく高校生を見ていて思いました。これに懲りたら、テスト終わってすぐから毎日きちんとやりなさい。開智塾のみなさんは、勉強という才能に恵まれた人たちです。あとは努力と我慢、そしてその中にどれだけ楽しみを見いだせるかにかかっています。開智塾の先生達は、授業の隙間にそっと色んな色彩を忍ばせていますので注意して聞いて見てください。

 

 

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