国語の勉強について
2019年10月29日
国語、どうやったらいいかわかりません!
と言う話、よく出ます。国語の勉強法。
年齢によって違うのですが、中2くらいまでは出来れば本を読ませることはさせて欲しいです。教科書に出てくる人(作者)の本なんかが手っ取り早く勧めやすいですね。名作でなくとも構いませんが、マンガみたいな小説とか(ラノベとか)では意味がないので、真っ当な文章で書かれている本を読みましょう。例えばミステリならアガサクリスティとか。
読書はもちろん大切ですが、中3やら高校生になってくると、そうは言ってられなくなります。
話すと長くなるので親子塾での話題にしたいのですが、いくつか大切な点だけでも記しておきます。
まず評論(=説明文)。筆者の書いていることがなにをいっているか、数学の証明みたいなもんで、論理展開を追うのが仕事です。そして、筆者は自分の論を伝えるためにいくつかの技法を駆使してきます。
その中でも、正解を得るために特に重要なのが、文章構造把握と比喩です。
文章構造とは、たとえばこういうことです。次の二つの文章を比べて見てください。
A
ある日、ヒキガエルの遺伝子を調べていた。
そういえば、子どもの頃にカエルなんてそこら辺にたくさんいたなぁ。
ウシガエルの声、全然聞かないな。
などと思いながら、画像を見ていると、3番目の染色体がいつもと違う事に気づいた。
なんと、ヒキガエルには2種類あったのだ。
B
ヒキガエルは、近年になって2種類ある事が分かっています。
それは、遺伝子研究が発展し、ある学者が染色体の配列を事細かに見ていたことから発見されたものです。
つまり、一見見た目は似ていても種類が異なると言うことはいくらでもあると言うことです。
AとBで、文章の雰囲気が違いますね。Aが小説っぽい感じ、Bが評論っぽい感じです。言い方を変えるとAは最後まで読まないとなにをいいたいのか分からない。Bは、最初から主張が分かっていて、1行目の内容について書かれるのだろうな、というのが想像できる文章。
評論ではまずBの様なタイプが基本になります。
Bの方がわかり易いのは、キチンと理由があります。
・最初になにをいいたいか述べる
・次にその説明を加える
・最後にもう一度まとめを入れる
(そして場合によっては、次への課題を追加提示する)
この構造で書かれているので、最初の段階でなにをいいたい文章かがわかり、そしてそれはなにを根拠にして、最後「ほらね、言った通りでしょ?」と、内容がクリアになるわけです。
さて、次に、問題作成者(筆者ではない)の気持ちになってください。
まず。基本的な読解力を問いたいなら文章としてAではなくBを選びます。(Aパターンもあります。随筆なんかはそれに近いですね。)
1行目 AとはBである①。
2行目 なぜなら、AはCで、BもCである。
3行目 と言うことは、BとAは共にCと似通っている点で、A=Bといえるのではないだろうか。
さて、問題です。「----①を説明せよ」と問います。
答えは、3行目にあります。「共にCと似通っている点で、AはBと同じだと言える。」あたりが答えでしょうか。
繰り返しになりますが、
冒頭で言いたいこと
次に説明
最後にまとめ、そして次の課題
文章というのは、こう言う構造を取ると分かってもらいやすいのです。だから、冒頭か最後に傍線を引いて出題するわけです。このとき、説明に持ってきた中段の「具体例」を書いてはいけません。
ちなみに、上記の例題ですが、場合によっては「AとBは等しい」というシンプルな回答を出してくるかたもいらっしゃいます。間違ってはいません。そこで、出題者は字数制限を持ってくるわけです。
・共にCと似通っている点で、AはBと同じだと言える。(25字)
・AとBは等しい。(9字)
回答者は、設問における字数制限を見て、答えを選ぶわけです。30字以内なら上を、10字以内なら下を、といううわけです。
ついでに、字数制限にはもう一つ意味があります。
問題文のなかに、回答として使える箇所が2カ所以上ある場合です。なにか一つの事について筆者が多角的に検証する場合に、
例えばちょっと長いですが、、、
次の文を読んで、筆者の主張を40字以内で述べよ。
絵画の主題の移り変わりは、権力の移り変わりと密接に関係している。
例えば、絶対王政の頃の画家は、王様お抱え画家として王様の肖像画を描いた。ところが、市民革命によって絶対王政が崩壊し市民社会になると、市民の見たいもの、すなわち市民に売れるものを描く絵描きが出てきた。
要するに絵画の主題とは、その時代に誰が力を持っていたかを映し出す鏡のようなものと言えるのである。
回答となる箇所は、1行目と最後の行です。どちらも言っている事は全く同じです。こうなったときに、出題者は字数制限を掛けてきます。
1行目
絵画の主題の移り変わりは、権力の移り変わりと密接に関係している。(36字)
最終行(から抜粋)
絵画の主題とは、その時代に誰が力を持っていたかを映し出す鏡のようなものと言えるのである。(50字)
正解は1行目です。字数制限内に収まるのが1行目です。
・・・
などなど。
こうした基本技術が、文章読解には必要です。学校ではなぜか習いません。
他にも色々あります。最初にあげた比喩なんかは代表例です。書き切れないのでまたそのうち。
ちなみに、高校生くらいになると、現代文の世界は数学で言えば「ベクトル」「数列」くらい、独特の世界が存在します。知らないと、なに言ってるか分かりません。「大当たりするか、大外れになるか」なんて言ってる子は、そのあたりが弱いですね。その場での読解力に頼ってるだけでは高2後半から点数が取れなくなりますよ。特に評論文は、科学的な文章です。その世界(例えば美術史や思想、文化や伝統などなど)に固有の考え方がありますので、知っていたら「あぁ、またこれね」ですらすらできますが、知らないと「なに言っとるかわからへん」で終わります。
そこら辺は、現代文授業で少しずつ話していますのでじっくり聞いてくださいね。
長くなりましたので、小説については一言だけ。
「絶対に登場人物の気持ちになるな」。
これがキーワードです。
いいですか?登場人物の気持ちに成り代わってどう考えるか。それは道徳という教科です。国語ではありません。
国語の小説では、そこで登場人物がどう感じているかを、文章表現の中から読み取ってこいと問われています。「このとき、あなたならどう思いますか?」なんて一つも聞いてきません。そこが肝心です。
今にも泣き出しそうな空だ。
こんな書き出しで書いてあれば、登場人物の気持ちは暗いに決まっているのです。そう、あなたがどれだけ雨が好きであろうとも、そんなことは関係ないわけです。あくまで文章のなかからはみ出ないように、文章表現の中に限定して登場人物の気持ちを切り取ってくる。そこが大切なんです。気持ちになろうなんて思ってはいけません。そういうのは道徳です。(2回目)
・・・というわけで、初歩中の初歩ですが、ホントにほんのきっかけだけでも、ということで。