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原発と駐輪場問題

塾とはあまり関係のない話ですが。

 

 

 

難しいことには黙っているが簡単なことには口を出す

 

原発と駐輪場問題というのをご存知でしょうか。

 

 

パーキンソンの凡俗法則 – Wikipedia

 

 

 

簡単に言えば、

「原発というおよそ専門家でなければ分からない入り組んだ大きな話には口は出さないが、駐輪場をどうするかという些末で誰でも分かるレベルになると議論が紛糾し出す」というものです。

 

 

 

ネットの世界で食べ物を粗末に扱った芸能人がめちゃくちゃ叩かれたりしますよね。箸の持ち方とかもそうです。え?そんなに怒ること?みたいなアレです。

 

 

これ、「原発と駐輪場問題」なんです。政治とか経済、食の南北問題などややこしい問題(原発)ではなく、「食べ物は粗末にするな」(駐輪場)という誰でも知っている常識(少なくとも本人達はそう信じている)だから、誰でも口を出せるわけです。

 

しかしここには問題が潜んでいます。

 

①それは本当に常識なのか?

②だとしたら叩かれて当然なのか?

 

という問題です。

 

 

 

食べ物を粗末にする芸能人は叩かれて当然?

 

 

①それは本当に常識なのか?

②だとしたら叩かれて当然なのか?

 

 

この2点について見てみましょう。

 

①そもそも「食べ物を粗末にしてはいけない」は世界共通の認識なのか

 

スペインの「トマト祭り」、有名ですよね。粗末といえば粗末です。

「いや、これは祭りだから」というかもしれません。

 

でも、祭祀とはいえ現代の価値観からしたらダメでは?という議論がつい最近もありました(“炎上”の「上げ馬神事」 伝統か虐待か 広がる波紋)。

 

 

このように、「それは当たり前だろう」ということも意外にそうとは限らない。トマト祭りは許されてテレビのバラエティがダメな理由を明確に言える人はいないでしょう。まずは価値観そのものを疑ってみる必要があります。

参考:【テレビの裏側】グルメ番組の撮影後の料理 / 捨てています「食べるとトラブルのもと」 | ガジェット通信 GetNews

 

 

もっといえば、我々日本人のほとんどが大量のフードロスや食の南北問題の上で生きているわけです。先進国としての飽食を謳歌しながら「食べ物を粗末にするな」って言うわけです。

 

参考

もっとも一方で,世界の食糧供給は絶対量として世界の必要カロリー量をまかない得るとみられ(第4-5-2表),適切な分配さえ行われれば,食糧問題は解決されるといい得るかもしれない。

引用:昭和57年 年次世界経済報告 第4章 困難深まる発展途上国経済 (cao.go.jp)

 

(かなり古いですが、既に昭和57年の時点で「世界の食糧はカロリーで見れば全人口をカバーしているが、先進国が持って行ってしまうので後進国に食糧が行き渡らない」と述べられています。新しいところでは同様の事を斎藤幸平氏が『人新世の資本論』で述べています。かなり売れたので読まれた方も多いのではないでしょうか。)

 

 

こうなると「じゃあフードロスが多い国に住む人はマナーについて話してはいけないのか」と言い出す人がいるんですが、いけないことはないです。しかし、それとはまた別に大きな問題があるだろう、そっちはどうしたんだ?という話です。

 

 

 

②ならば叩かれて当然か。

 

当然ではないです。それはいいとして、せっかくなので別視点で。

 

 

ネットだと「叩かれる」という表現がよく使われます。

 

 

これ、受動態なんですよね。

 

 

・彼は、食べ物を粗末にしたので叩かれる。(受動態)

・私は、食べ物を粗末にした彼を叩く。(能動態)

 

 

この二つにはとても大きなニュアンスの差があります。「叩かれる」と受動態にすると、「誰が」叩くのかは巧妙に匿名化されます。登場人物が「彼のみ」という錯角すら覚えます。が、本当は叩く側の顔の見えない「私」=群衆という一人称がそこには存在しているわけです。これがネットの匿名性の本質だと思います。

 

 

 

というようなことを、大量のLINE質問に答えつつ久々にX眺めてて思ったりしました。

 

 

 

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