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人の悪口を言ったり、誰かの発言を揶揄したりする現象

たまたま最近ですが、タイトルのような状況を中学生、高校生のクラスで目撃しましたので考えてみました。

 

誰かが授業中に声を出したら、顔を見合わせてクスクス笑うとか。自覚ある人いますよね?よくないですよ。やめましょう。今度やったら注意します。

 

それはそれとして。

 

まずそもそも、昔と違って人に対して暴言や悪口を言うと言うことは今の子たちからすれば禁忌(きんき)であり、やってはいけないことという認識があります。(昭和の頃は「暴言」という言葉すらあまり使われなかったですもんね・・・)

 

ところが何が暴言で何が悪口なのかの境界線についてはやはり曖昧なままな気がします。「コケたのを笑った」に対して「いじめられた」って思ってしまったり・・・というすれ違いは、こうした点から産まれやすいのかもしれませんね。

 

 

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リアルな場、学校や職場(匿名SNS、X=twitterとかのような場ではなく)での悪口について、一般的に言われることとして

 

メリット

 

・悪口を共有することで連帯感を得られる

・誰かに対して劣等感を抱いているときに、その人の悪口を言うことである程度解消される

・ストレス解消

 

デメリット

 

・同調圧力(みんなが言ってるから合わせないと・・・とか)に巻き込まれる

・ネガティブなことを言う人には同じような人しか集まってこない

・悪口を言いたくなる根本原因(劣等感やストレス)は解消されない

・言われた人が傷つく

 

が考えられます。

 

多かれ少なかれ、自分が主体かどうかは別として見聞きした経験くらいはあるのではないでしょうか。

 

塾でみてて思うのは、「悪口を言う人はそういう人たちだけのコミュニティができあがり、負の連鎖が起きる」ということです。考えてもみてください。悪口言って盛り上がる人たちのコミュニティは、延々と人の悪口を言い続けているわけです。もし自分が言っていたりすると、同じような人が寄って来て、周りは悪口言う人だらけになるんです。怖いですね・・・

 

あ、ですので塾内では「ネガティブ発言禁止!!」とかよく言ってます。宿題出したときに「えーいやーむりー」みたいなことをすぐ言っちゃう子っているんですが、そういう小さな芽を丁寧に摘んでいくことって地道ですがとても大切な事だと思っています。

 

 

 

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ところで、ついでなのでちょっと難しい話ですが。

 

誰かが何かを発言するとき、それが誰にもなにも影響を与えないってことはあり得ず、必ずなにがしかの力の偏りが生まれます。例えば

 

「今日の煮物おいしいよね」に「うれしい!」って反応をすると、そこには

 

「誉めた人」←→「誉められた人」

(または、「気を使って誉めた人」←→「気を使われて褒め言葉をかけられた人」)

 

という力関係が生まれます。良いとか悪いとかではなく、言葉とはそう言った性質を持ちます。

 

そもそも我々は、発する言葉全てについて、自分の意図の通りに相手に伝えることは不可能です(言語学的に)。岐阜県民が思うりんごと、青森県民が思うりんごは別物です。りんご=appleだと思っていると実は品種からして全然違うわけです。

 

 

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話を元に戻します。

 

最初に挙げた「最近見かけた例」では、悪意のある揶揄をしているケースと、決して悪意はないけれども、受け取り方によっては傷ついてしまうケースとがあるなと思ったからです。そこに至る背景情報も含めるとなおさらです。断片だけ切り取って鵜呑みにしてしまうと、実態は全然違ったということがなきにしもあらずです。

 

「う、悪口言われた」と思った場合でも、ひょっとすると悪意じゃないかもしれないので、自分の考え方を変えましょう・・・ということが言いたいのではなく、「ふむふむ、今のはどう考えても悪意にしか思えないが、ひょっとしたら同じようなことを自分もやってしまっているかもしれないな、気をつけよう」と思ってみるだけでだいぶ気分が違ってくるのでは?という一つの提案でした。だって相手は変えられないので。