一覧に戻る

国宝 感想

ちょうど話題になっていたのと、ご面談なんかでもお話がでて、これは見ておかねばということで見てきました。

 

がっつりネタバレです。もしこれからご覧になる方は、事前に「曽根崎心中」のストーリーだけは知っておいた方がいいと思います。

曽根崎心中 – Wikipedia

/////////////////////////////////

 

 

 

 

 

 

 

 

以下ネタバレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

/////////////////////////////////

 

まず最初の印象は、「これは女性ウケするストーリーだなぁ」ということです。

 

「男性とはこうで、女性とはこう」と決めつけているのではありません。よくある映画のありようとして、「権力闘争もの」なんかはやっぱり男性ウケしやすい。そういった対比で考えていくと、「女性的な映画だな」と思ったわけです。

 

この映画の「女性」性。

 

例えばこの物語は「血」が一つのテーマですが、生まれ持って「ガラスの天井」に覆われている現代の女性のありようにも通じるところがあると思いました。血を持たない者である喜久雄(吉沢亮)は見えない天井にずっと苦しめられるわけです。

 

そしてもうひとつ。見た目は男の物語ですが、中身はとても「男子高校生の部活もの」ぽい構造でできていると感じました。

 

競い合うようでいて、そこには友情や信頼といった「受け入れる力」。相手の苦しみを理解しようとするやさしさが物語の根底に、当然のこととして流れている。

 

男向け映画では、基本的に「勝つか負けるか」「結果を出すかどうか」で関係が決まる部分があり、それが最終的な「この映画面白かった!」に通じがちなんですが、『国宝』の世界には、そういう直線的な価値観がビックリするくらいありません。

 

物語の中心にいるのは二人の男。
一人は“血”を受け継ぐ者=俊坊(横浜流星)、もう一人は“芸”を持つが血を持たない者=喜久雄(吉沢亮)。
前者は血によって縛られるが故の苦悩を背負い、後者は血を持たざることで、報われない。
どちらも自由ではない。

この構図は、どこか女性の生きづらさにも似ています。
「生まれによる天井」があり、どれだけ努力しても超えられない。
それでも、受け入れて生きていくしかない(なかった)。

そんなそれぞれの運命の中で、あるのは「受け継ぐ」「受け入れる」「赦す」「見届ける」という円循環の感情。
この感情の流れは映画の「女性」性に直結している部分だと思いました。

 

/////////////////////////////////

 

また、色彩の持つ力も感じます。

 

この映画を見ていて特に印象的だったのは、血のような赤と、雪や照明の白。ただし艶やかな赤とは感じませんでした。血液の色、ちょっと生々しいまでの深い赤色。

 

この二つの色が交互に、あるいは同時に現れるたびに、感情が大きく揺さぶられました。

 

白は清め、赤は生の象徴。

 

その二色のコントラストが、「生まれ」「死」「伝承」「断絶」といったテーマを説明するよりも先に、感情として理解させてくるんですよね。白が美しければ美しいほど、そこに滲む赤が際立つ。
その構図はまさに、芸と血、生と死、救いと呪いの対比そのもの。
論理ではなく視覚で、見るものの心を奪っていきます。

 

/////////////////////////////////

 

血を持たない者が最後にたどり着いたのは、不純物を全部削ぎ落とした「芸そのもの」の世界。

 

最後の雪(だと思う)の舞う舞台のシーン。究極の美にたどりついた瞬間。「美しいものを美しいと感じ、表現できる瞬間」だけの、極めて混じりけのない、透明な場所です。

でもその景色は、かつて自分の父が雪の中で死んでいったときの雪景色とオーバーラップしているように感じました。

 

つまり結局彼は、ヤクザものの世界を離れて芸に生きる新たな人生を完成させた・・・のではなく、父と同じ人生を生き直したのではないか。すなわち、役者としての血を持たぬ者が、最後にヤクザものとしての血を再演する。ある意味それは芸の完成であり、同時に血の呪いの再生でもある。

ヤクザものという血から離れ、自由を得たように見えて、実は輪廻へと引き戻されていく。
これは悲劇かもしれませんが、僕は「至るべき所に至った幸福」のようにも思えました。

 

雪の舞台は、清めの白でもあり、墓標の白でもあります。その中で彼が舞う姿は、人間というより芸そのもの。血も欲もすべてを手放して、ただ美しさだけを残す。しかしその美しさが全てを覆い隠すため、結局なにも解決はしていないのだけど。

けれど、あの白と赤の対比が作り出す美の力は圧倒的で、「それでもいい」と思わせてしまう。
それがこの映画の魅力の一つだと思いました。

 

/////////////////////////////////

 

おそらく『国宝』が描いたのは、「宿命を超える」話ではなく、「宿命を美として引き受ける」話ではないか。

 

宿命から逃れようと、美しく生きる。しかし美しくあろうとすればするほど、逃れられない宿命の中心へと引き寄せられていく。

 

芸という呪いの中で、それでも光を見つける。それが、あの雪の舞台の意味だったのだと思います。

最初に感じた「女性ウケする」という印象も、その「美しく赦す構造」のせいかもしれません。

 

/////////////////////////////////

 

あと、どうしても最後に残ってしまうのが「おそらく原作(分厚い上下巻)の主要どころを削ぎにそぎ落としてこうなったんだろうな」という「ダイジェスト感」です。ここは仕方ないとか不満とかより、おそらく監督が相当苦労して、原作の筋立ての大切な部分を極限の努力で描ききったのだろうな、とおもいます。それがひしひしと感じられる(原作読んでないですけど)のも、また一つのすごさだったと思います。