念のため申し上げますけれども
2019年06月20日
積極的に関高校の社会の過去問を配っているわけではありません。
他の塾さんの話として聞き及ぶ程度にはアーカイブとして保存してありますが、それを生徒のみんなが「点数を取りたい」「出来るようになりたい」として自分で勉強するかそうでないかの違いではないでしょうか。開智塾の生徒は、みんな本当によく勉強してくれます。過去問があったからといって、それだけを勉強してテストに臨んだらたまたま問題が一緒だった・・・なんていう、くだらない勉強の仕方は塾としてやっていません。でなければ、こんな結果を残せないと思います。
ただ、勉強出来るネタ、材料があるなら貪欲にやる。そういうのはあるでしょうね。それはすごくいいことだと思います。
受験は結果が全てです。点数が取れるようになるなら、どんなものでも推奨します。過去問だってかつてはもっと積極的にやらせていましたが、「同じ問題が出た」みたいな話があるから、今はまだ押さえているくらいです。それって過去問やった子が悪いんですかね?やらせた塾が悪いんですかね?わたし、個人的に、進学校の先生方が作る問題、授業準備のすごさ、先生お一人お一人の造詣の深さをリスペクトしております。ので、あるならどんどんやらせたいのが本音です。でも、一応気を使って「置いてあるから、勉強したい子は自分で勉強してね」方式に留めています。やる気のある子はどんどん自分で勉強します。だって、関高校の先生が作った問題ならやりたいに決まってるじゃないですか。
本来、塾にとってある学校に合わせて授業をしたりカリキュラムを組むことは難しい事です。他の学校の子たちをどうするのか?と言う問題に必ず行き当たるからです。ある学校に合わせると他の学校の生徒がやめてしまう。でも経営はしなければいけない。そういうジレンマがあるのが塾です。
でも開智塾は「経営のためにいっしょくたにして指導する」という方式をとりませんでした。一緒に指導する場合も、あくまで「上の学校に合わせてやっていく覚悟」が前提で、一緒にやってもらうようにしてます。それが出来ないなら、他のクラスをきちんと設定するか、別の方法で対処するか、そもそも受け入れないか。都度都度きちんと考えてきました。
塾さんによっては、そうして身を切ることをせずにいろいろな学校を混ぜて「クラス人数重視」でやっているところもあると聞きます。「学校の定期テストなんてどうでもいい、模試や入試に合わせるから学校なんて適当にやれ」と言っているそうです。でも開智塾は違います。日本の教育は、学校ありきと考えています。生徒のみんなだって学校の点数は取りたいはず。そして僕は東北大学教育学部で(不真面目ではあったものの)学校のなんたるかを少しばかり勉強したつもりです。同期には学校の先生をやっている者、文科省の役人になったもの、学校内で生徒の心のケアにあたる者、いろいろいます。ですので、教育行政に携わる人達の苦労を少しばかり知っているつもりですし、何度も言いますがリスペクトしています。そういう世界の本当に末端の末端の末席に身を置かせていただいている身として、無駄に生徒や保護者様の負担にならないよう「まず学校ありき」の姿勢は何年も崩していません。
近年の開智塾卒業生の実績は、学校の過去問を配ってるからなんていうちゃちなことから来ているわけではなく、貪欲なまでの生徒のみんなの勉強や進学に対する意欲、そしてそこまで引っ張って引き出していく講師たちの熱意によるものですので、そこのところよろしくお願いいたします。
本稿は、誰かを批判するのでもなくまして学校のやり方をどうこう言うのでもありません。我々の覚悟と決意を示したものです。やり方は変えないでしょうし、ひたすら塾生の合格のために走り続けます。