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震災遺構(3)

仙台市内の荒浜小学校遺構を出発し、石巻市へ向かいます。

 

右下の方、女川原発のさらに先に「金華山」があります。岐阜の金華山と読みも書きも同じです。有名な観光地で鹿🦌がたくさんいます。

宮城県牡鹿(おしか)郡女川(おながわ)町、なるほど金華山=鹿=女川町かとおもったら、金華山は石巻市の所属でした。

 

点線の範囲が石巻市。女川町だけ石巻市に所属していない感じ?原発誘致とかの関連でいろいろあったのかな。

 

 

そういえば。

 

 

仙台、石巻といえば、周辺一帯有名な漁港だらけです。

 

 

せっかくなのでおいしいお寿司を食べようということで、仙台市のすぐお隣、塩竈(しおがま)市の「すし哲」さんに行きました。写真撮るの忘れちゃったんですが、塩釜駅前すぐで超オススメ。

 

塩竃「すし哲」

HPに「職人さんとの会話を楽しめます」って書いてありますが、大将マジで楽しくしゃべってくる。あと女将さんがめっちゃお茶持ってくる。10分に1回くらいもってくる。わしゃゾウか。

 

オススメのセットでも十分おいしいのですが(多分これが3000円くらい)、なかでもおいしかったので中トロとイワシ追加。多分名古屋とかで食べたら一人15,000円クラスのお寿司が、なんとトータル5000円いかない。なんか値段間違ってんじゃないかと思ったくらい。(いまだに間違えてるのではと思ってる)

 

 

「寿司の後はコーヒー飲みたいね」とか言いながら(母がコーヒー好き)、多分すし哲の息子さん?が経営している隣のカフェへ。なんか見たことある店だなぁと思ったらサンドウィッチマンの「ぼんやり~ぬTV」で見たとこだった。CBCでの放送おわっちゃったけど。再開してくれないかな。

 

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かつては仙台ー石巻間の約50㎞は、R45か利府街道(県道8号)を使っていくしかありませんでした。(有料道路もあったかも。学生時代はお金をケチって使ってなかったので記憶がない)

 

震災でこれらの道路は寸断され、各地で孤立集落が続出したことなどから、復興道路として三陸自動車道が一気に整備されました。全線開通は2021年。仙台から青森県八戸市までを結ぶ総延長570㎞にも及ぶ道路です。10年足らずで作っちゃうのすごい。

 

三陸道~大震災が残した、料金無料&地域密着型のミニ高速道路~・・・歴史で紐解く高速道路 | クルマ情報サイトーGAZOO.com

 

塩釜からは三陸道を北上。石巻河南ICで降り、一般道を北上川沿いに東へ。IC降りてからが結構長く30分くらいかかったかな?荒浜小学校からトータル1時間くらいだったと思います。

 

北上川はあの北上川です。

「やわらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」

石川啄木の短歌で有名で岩手県のイメージが強い北上川、河口は宮城県石巻市なんですね。

最上川(山形)ほど荒くはなく、しかし、のったりと強く流れる様は、大蛇が身をくねらせるような、そんな姿に見えます。

 

 

 

津波はその北上川を遡上しました。

 

 

赤いマークが震災遺構大川小学校です。震災遺構のなかでも少し特殊な事情があります。それはこのページ後半で。

 

到着。右奥に見えているのが被災した小学校の校舎です。

 

 

手前から、校舎、その奥にグラウンド、さらに奥が山です。高さ数十メートルの小高い裏山のすぐ麓に学校がある、そんな雰囲気です。これだけ見ると、「津波が襲う」というイメージがわきにくいですよね。

 

航空写真で見るとこんな立地です。

 

さらに拡大してみます。

 

 

 

 

地震発生後、先生方は児童のみなさんを校庭に集め、おうちのお迎えが来る子は順次送り出し、そうでない子は集団下校をするよう待機指示をしました。

 

そのとき、津波がやってきます。

 

 

 

 

北上川河口から遡上した津波は、山を回り込んで小学校を飲み込みます。裏山に登っていれば助かった命すべてが失われてしまいました。「裏山の麓にあって海が見えない」生活を送る中で、「何かあったら裏山に登れ」という避難指示をすることは難しかったかもしれません。

 

 

結果的に、校庭で待機するという指示は最悪の結果を招いてしまいました。

犠牲者、児童74名、教職員10名。

 

 

校舎正面。航空写真からも分かるとおり、変わった形をしています。

 

流された石碑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柱だけが並んでいるような写真が多いですが、実はもともと壁があって教室になっていました。津波によって流されてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スロープのようになっているところは、校舎の2階(左側)から体育館2階(右側)を繋ぐ渡り廊下でした。津波の力によって完全に折れ、ひしゃげてしまっています。このさらに右手に↓のように

体育館の入り口部分。渡り廊下はこの建物の奥側。体育館はこの建物の手前側、流されて土台しか残っていません。

 

 

 

 

 

体育館のあった場所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大川小学校の悲劇はその後、形を変えて続きます。

 

 

遺族が学校の対応を巡って、石巻市と宮城県を訴えました。

 

結論から言えば、2019年に遺族側が勝訴、市と県の過失を認める判決が確定しています。

 

大川小の津波訴訟、遺族勝訴確定 学校現場の責任重く – 日本経済新聞

 

教師の責任を追及するものではなく、あくまでも行政側に「マニュアル整備の不備」を認めたものです。

 

避難誘導した教師も亡くなり、児童も亡くなる。

 

やり場のない悲しみを誰かにぶつける・・・と言う事ではなく、これまでの常識だけにとらわれず、経験を未来につなげる裁判だったのではないかと感じましたがいかがでしょうか。

 

 

以下は敷地内にある資料館の展示。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺族と行政との裁判の解説の展示もたくさんあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この日はこのあと、さらに石巻市内中心部の門脇(かどのわき)小学校へ向かいました。

 

大川小学校から車で約15分。

 

残念ながらもう閉館時間になっていて、翌日(仙台旅行最終日)出直すこととしました。

 

 

きれいな建物は資料館です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門脇小学校は、すこしだけなじみがあります。大学時代の友人の出身校だったこと。この近隣の中学生の子の家庭教師をしていたこと。

 

石巻市でも1番栄えている中心地の小学校でしたので、「街の中心まで深くダメージを受けている」ことがショックでした。

 

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石巻から仙台市内へ。帰りは利府街道(県道8号)をメインに一般道で帰ります。

 

 

 

雪国ローソン。どこが違うか分かりますか?(分かるか・・・)

 

 

ところで。

 

 

今回は行かなかったですが、旅行先ではほぼ必ず現地のスーパーに行くことにしています。

 

 

その地域だけで展開しているスーパーがあればそこへ、なければイオンへ。

 

 

その土地のスーパーに行くとその土地ならではの食材や風習(お盆の飾り物とか地域差大きい)を見ることができたり、その土地の方言が聞こえてきたりするからです。特に岐阜県民からすると見たこともない魚とか、すごく面白いです。お土産も、スーパーで普通に売っているその土地の味噌や醤油を買ったりします。

 

というわけで、行く先々のスーパーやイオンが気になっていたりするわけですが、石巻からの帰り道、とんでもないイオンを見かけました。

 

 

今回は老いた母と一緒だったので行かなかったのですが、、、

 

 

せっかくなのでストビュー貼っておきます。

 

奥に渡り廊下?みたいなのありますよね。渡り廊下をくぐって先、左手に巨大イオン。戻って、この交差点を右へ。また行けども行けどもイオン。完全にイオン植民地。

 

改めて各務原イオンと比べてみました。

 

 

いやいや、でかすぎないか??

 

右が各務原イオン、左が利府町イオン。同じ縮尺です。でけぇ。各務原イオンの2つ分は余裕である。調べたら、日本のイオンで3番目の大きさだそうです。おばあちゃん連れて行かなくて良かった。死んじゃう。

 

 

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ホテルに戻り、2日目の夜は歩いて仙台駅近くのラーメン屋さんへ。

 

 

 

 

麺龍。とんこつ食べたけどすっごいおいしかったです。

 

 

https://g.co/kgs/i9Y8sjp

もし仙台に行くことがあれば、オススメです。仙台駅から徒歩3分。

 

あ、食べたの味噌だ。

 

 

 

ホテルの窓から東二番丁通りを見下ろして。

 

夜中大げんかしつつ。

毎度のことなんですけど。

歳とった親と話してるとなんで喧嘩になるんだろう。。。

 

 

最終日は、時間切れになった門脇小学校と、仙台に来たからには牛タン!の予定。