テキストを自分で直す、○をつけてもらう
2021年02月08日
これは仕方のないことですが、学校で宿題(中学になるとほとんど0ですが)や問題のマル付けをするとき、
先生が解答を読み上げる
↓
生徒自身で○をつける
という方式でやることが多いようです。
まずここで一つ問題があります。マル付けをインチキする・・・といえば言葉は悪いですが、×なのに○にしてしまうということは往々にしてあります。わざとの場合もあれば、意図せずということもあります。まぁ要するに適当なんですね。
さらに、「間違っていたところは赤で答えを書き込んでおく」という風習(?)もあります。これ、ごく当たり前に世間に浸透しているのですがよくよく考えたらとてもおかしいですよね。赤で書き込んでしまったら、「せっっっっかく間違えたのに、そのまま放置します宣言」と同じなわけです。あとで見直しなんかするわけない。(多分)
学校はたくさんの人数がいますから、先生が間違えたところ1つ1つを見ることは出来ません。仕方がありません。でも塾はどうでしょうか。学校と同じ事をしていては塾の意味が全くないと思います。塾で使っているテキストに赤で答えを書き込んでいるようでは、何のためにお金と時間を使っているかさっぱり分かりません。
テキストの間違いというのは、自分の弱点です。その弱点を発見し、理解し、修正し、出来るようにする。このプロセスこそが大切なのに、なぜ赤で書いて終わらせてしまうのか。もったいない、もったいなすぎる。
開智塾はここがとても重要だと考えていますので、これは是が非でもやってもらいたい。人によってはマル付け自体の修正が必要になります。全チェックを時々入れ、付箋をつけてやり直し!なんてことにもなります。
宿題というのは、授業で説明され理解し、それを訓練して自分で出来るようにする作業です。勉強だってスポーツだって理解だけでは出来るようになりません。まして勉強は、何ヶ月も先にテストや入試があるのです。いつでも出来るように訓練が必要です。
この必要性ってあまり認識されていないんですよね。なぜかと言えば、ものすごく手間がかかり、学校でもほとんどやらないからみなさん知らないんです。
宿題を丁寧にやって、そこで理解不足があればまた説明を受けて、自分の力で出来るところまで持っていく。非常に手間がかかるのですが、考えたら勉強において最も大切なところです。学校ではさまざまな理由から出来ないでしょうから、塾でやります。もし塾に行きながら地道な「間違い直し」をやっていないなら、それは無意味です。いや、塾の儲けになるからいいのかな。経済を回すという意味で。
もう一つ、塾で大切な事。それはデキル子の力をさらに伸ばすこと。学校では、デキル子たちはかなり我慢しています。塾においてはなおさら。一見クラス分けをしているように見えても、中身が大したことなければ意味がありません。デキル子にとって見れば、「平均点を上げる授業」ばかり受けていてもつまらないですよね。それこそ、学校ではそうであっても塾ではぜひその子の力を伸ばしてあげたい。スポーツにクラブチームがあるように勉強だってクラブチームがあっていいわけです。
学校ではなぜか勉強が出来ることは悪と見なされることがあります。勉強が出来る子、もっとできるようになりたい子はぐっとこらえて、通知表のためにクラスの団結のために我慢しています。我慢することが当たり前すぎて、塾に来てまで当たり前のように座っているだけという子がたくさんいます。開智塾は、そういう子の扉を開けたい。キミはもっと上を目指せるんだよということを教えてあげたい。こんなこと本来当たり前なんだけど、障壁が多すぎて田舎ではなかなか実現出来ないんですよ。
勉強の扉を開けてどんどん進んで行ってほしい。そういう子にこそ開智塾に来て欲しいと思います。