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知的好奇心を刺激すること

勉強が「蛍雪の功」と呼ばれたのは、勉強=苦労という前提があったからです。

 

 

もちろん苦労は必要でそれは今も変わらないですが、一方で好奇心や探究心を持った子が大学入試において評価される時代にもなってきています。国立大学でも総合型選抜(旧AO入試)が定員の3割に迫る状況、大学側も必死に「優秀な人材」を獲得しようと躍起になっていることが見て取れます。

 

 

 

知的好奇心や探究心を持たない子はいません。しかし、多数の子が「点数にならないならやりたくない」(点数になるなら、仕方なくではあるがやる)と、授業中の脱線話を脳みその勉強領域から切り離してしまいます。

 

 

 

講師の脱線話は単に息抜きのための本当の脱線もありますが、その日その時その問題に合わせてそこから世界を広げるためのものであることが大半です。ぜひそれにのっかってきて欲しいと思います。なぜならその方が点数が伸びるからです。

 

 

 

例えば、国語の問題では「森を伐採し、河川をコンクリートにすることで自然の回復力を奪ってしまった」みたいな文章が出てきたりします。たいていの子は「つまらない文章」と思います。目の前の点数だけ取るなら、「本文の何行目に何が書かれているからこれが正解」で済むのですが、そもそも「つまらない」と思っている子の頭にはこの話自体が入ってきません。

 

 

 

ところが、「なんで森を伐採するかというとさ、」「なんで河川をコンクリートにしなきゃいけないかというとさ、」と言うところから話を広げてみると、ぐっと引きつけられる子が出てきます。だって文章にはエラい先生が「自然の治癒力を下げてはいけない!」って書いてる、それは絶対的正義のはずなのに、一方で「そうは言っても、やんなきゃいけない事情だってあるのさ」って話が出てくるわけです。

 

 

 

河川のコンクリの話について言えば、治水であったり安全性であったり、そこにはそれなりの必要が生じているわけです。そこで「へー!確かにそうだな、じゃあどうやって問題を解決していけばいいんだろう?」と思える子と、「無駄話してて時間大丈夫ですか」って思っちゃう子では、文章そのものの理解が全然違いますよね。

 

 

 

これが文章にぐっと引き込まれるというやつです。エラい人の文章を読みながら、頭のどこかで常に「本当か?」「それで困る人はいないのか?」「自分だったらこう思うけどな」と思えれば、答えなんて簡単に出てきます。だって文章に集中して色々考えているから、文章に何が書かれているか聞かれたって当たり前に答えられるわけです。

 

 

 

みんながそうやって引きつけられる時間を持てれば、その後の答え合わせや解説なんて簡単です。「だってこのおっさん、コンクリにすると自然治癒力がなくなるって言ってたよね。だから答えは3番」とか、もう簡単です。もちろん解答のための技術や表現技法、文法なんかもやりますよ。けど授業にのめり込んでくれているから、文法の説明もしっかり聞いてくれてメモしてくれています。言わなくても書いてくれます。冥利に尽きますね。

 

 

 

ちなみに僕は国語の文章は常に批判的に(=反対意見ばかりを言うという意味ではなく、常に検証検討するということ)読むように気をつけています。授業中に解説として本文を読むときも、エラい人の文章が本当にそのまま正しいのか。反対の意見はないのか。現実はどうなのか。そんなことを言いながら読んでいきます。その話に引き込まれてくれた子は、話の次が気になって仕方がない。これぞ勉強、って瞬間です。

 

 

 

しかも、しかもですよ?これができると、正解になって点も上がる。こんないいことはない。なんぼ知識があっても点数にならない勉強は長続きしません。悲しいかな、現実です。そしてつまらない勉強に明け暮れなくてはならなくなる。

 

 

 

知的好奇心には、点数が取れると言う結果が必要なんです。逆に言えば、知的好奇心を刺激するためにきちんと点数につなげてあげる、これ結構重要な事だと思います。

 

 

 

「今日、北朝鮮がミサイルを撃ったね。なんでか分かる?」

「・・・」

「核兵器を積んだミサイルを作るためだよ。ひどいヤツラだよね。」

「うん、ひどい!悪いヤツラだ!」

「さて、キミの家の隣の人が、いつもキミの家に銃を向けていつでも撃てるようにしている。どうする?」

「やめてくれと言う」

「まぁ、やめてと言ってもきいてくれないんだよね。それどころか、『俺は銃をたくさん持ってるけど、おまえは持つな』って言ってくる。『世界平和には軍縮が必要だ』と言っている。どうする?」

「う~ん・・・」

「ところで、広島型原爆の数千倍の威力を持つ核兵器が全世界に15000発あると言われています。大半はアメリカやロシアが持っています。そして他の国には核兵器を持つなと言っています。これをどうやってなくしていくか、めっちゃ難しい問題だよね。家に帰ったらICBMって検索してみてね。」

 

 

 

・・・生徒向けに平和教育をしたいわけではありませんので、お間違いなく。中高の教員免許を持っていますが日教組ではありません笑。塾なのであくまで中立に、それより自分で考えることや考えるための知識をどんどん身につけてもらいたいと思ってたくさんの話をします。持っている知識は全て出すつもりでやっています。

 

 

 

核、宗教、貧困、、、これからの子どもたちが立ち向かわなければいけないさまざまな問題について、学ぶ機会はほとんどありません。そんなのは大人になってから自分で考えればいい・・・と言う時代は終わりました。大学入試には出るんです。大学入試って意外にアグレッシブに(そして中立に)これらの問題点に切り込んできます。その時に正しい知識を持って自分の頭で考えた意見を言えるかどうかが問われているわけです。まだ本格的とまではいいませんが、塾でもそういうことに対応する時代になったと感じています、と言う話でした。

 

 

 

国語を担当している子たち、国語の授業楽しんでくれているとうれしいな。

 

 

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