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ゲームやスマホ

勉強にはマイナスです。どう理屈をつけてもプラスにしようがない。スマホはまだしも、特にゲームは勉強と対立概念としか思えない物です。

 

 

 

現代は、お金ではなく時間の奪い合いです。勉強には一定の時間が必要ですが、お金持ちたちはたくさんの人から時間を徹底的に奪いに来ます。時間はお金に換えることが出来る事を知っているからです。そしてスマホとゲームは2つは子どもから時間を膨大に奪う筆頭です。

 

 

 

とはいえ、もはやこれらを生活から切り離せないのも事実です。「うちの子はゲームやらないから」と思っている方も、スマホのなかにゲームアプリが入っていないか気をつけて確認してみてください。特にスマホゲームは、switchやプレステ以上に人間をのめり込ませること「だけ」に力を注いで作ってあります。一時期パチンコ依存という言葉が流行りましたが、「お金と時間を膨大に使わせて、派手な画面で一種のトランス状態にして射幸心を煽り、じらしにじらした挙げ句に多大な報酬を与える」と、人間ははげしく依存することが分かっています。※(パチンコがわざと依存するように出来ている論考を下部にリンク・引用しています)そして、ゲーム会社は競って全く同じ原理をスマホゲームに応用しています。分かっていてわざとそう作っています。なぜならパチンコほど規制がないからです。大人がのめり込んで多額に課金するのも道理です。

 

 

 

で、子どもの持っているゲームやスマホ、そしてスマホの中のゲームは、現代では残念ながら生活から排除することは非常に困難になりました。

 

 

 

「使わせる・使わせない」の二者択一のような気がしますが、その中間で「うまくお付き合いする」という選択肢があります。どうやら、子どもとスマホの関係はこの「うまくつきあう」以外になさそうです。(学校が配ったタブレットでゲームをするなんて話もありましたね。かなり対策されましたが笑)

 

 

具体的な方法はいろいろあるので次の親塾でお話ししますが、要するにルールを決めることが必要です。ルールを決めるということは、必ずそのルールを守る、と言うことでもあります。子どもの抵抗に遭って結局使わせてしまっているとか、いつの間にやらグダグダになってしまっているとか、そもそも守れるわけがないルール設定にしているとか、これらはプラマイ0どころか大きくマイナスです。やるべき事をきちんとやっていないのに、好きな事が出来てしまうというのは大きな問題です。

 

 

 

勉強をすることで報酬を得られる(この場合スマホを使える・ゲームが出来る)と言うことは本来望ましくないのですが、まぁそんなのは小さなことです。ゲームを取り上げたところで勉強を好きになるわけではないのですから、(勉強など)やりたくないけどちゃんとやれる、(ゲームなど)やりたいけど必要に応じて我慢・コントロールが出来る。ここが大切です。

 

 

 

今のお父さん、お母さんは「子育ては頭ごなしで怒るのではなく、子ども目線で子どもの話を聞いてあげましょう」世代です。それは悪いことではありませんが、いつでも・いつまでも、何でもかんでも子どもの立場に立って聞けばいいというわけではありません。子どももそんなことは分かっています。分かっていますが、分からないフリをしています。押し切って勝てるなら押し切ろうとします。

 

 

 

「話して聞かせる」「子どもの気持ちを理解してあげる」が、いつの間にか「子どもとの交渉の舞台に引きずり下ろされている」状況に陥っていませんか?

 

 

 

時には「だめなもんはだめ」「これはうちのルール」というものも必要です。ルール自体は説明してあげた方がいいですね。なぜそういうルールにしたのか。ただそれを納得してもらう必要もないし、子どもに合わせて線を引き直す必要もありません。

 

 

 

「そんなこと言ったって、うちの子きかないもの」と思った方。もうそれは子どもに負けている状態ですよ。子どもは「お子さま」の立場をフルに利用して交渉してきますから、スポンサーとしての絶対的な権力を行使して、突っぱねるべきは突っぱねましょう。

 

 

 

 

依存者の創造−日本における電子ギャンブルと日常生活−
ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学 北アフリカ・アジア研究学科バルベッタ・トマゾ氏による論考がありますので、長いですが引用させていただきます。

サイトは「独立行政法人国際交流基金」という外務省所管の独法、外郭団体ですね。信用出来るサイトです。

 

リンク先p9-p10より引用

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4.2 ゲームにおける知覚刺激
現在ギャンブル機による視覚、聴覚や触覚刺激は全て意図的にデザインされている。遊戯者
の感覚や考えを支配し、遊戯時間を長くするためである。例えば、スロットマシンにおける音のデザインは負けを見落とさせ、勝ちを強調させるため、遊戯者の勝ち負けへの認知を歪めてしまうことがアメリカの研究によって明らかにされている(Dixon 2014)。勝ちに注目させることは再プレイを促し、重要な作戦である。同じような作戦はパチンコ業界によっても用いられる。「勝った事、って覚えてるんだけど負けた事、って忘れるんですよね」といった遊戯者はいる。
または、音や画面に出ている情報と動画を通じ、遊戯者に負けを「ほぼ勝ち」として感じさ
せることも可能である。例えば、スロットマシンやパチスロにおいて、絵柄が二つ揃ったとき、三つ目の絵柄が揃いそうになる。揃いそうだが、結局外れる。現代のギャンブル機はコンピューターによってコントロールされているため、昔ただの偶然だったそのような状況を意図的にだせる。そして、「勝ちそうだった!」という気持ちになった遊戯者は遊戯を続けてしまう。
その上、日本のパチンコやパチスロは動画を通じ、遊戯が物語のように感じさせる特徴があ
る。先述したように、有名なアニメ、ゲームやドラマ等のキャラクターや設定がパチンコのテーマになる。つまり、ギャンブルがコンテンツ化されているのだ。遊戯の流れにより、パチンコ台に設置された液晶画面の演出が変化する。その演出によって、遊戯の意味が媒介される。リーチ中に、遊戯者に期待させる。大当たり中に、快楽を伝える。そのような役割を果たした演出である。また、遊戯中にチャンスボタンというものを押させる演出も多い。ボタンを押すことは大当たりになる確率に全く影響を与えないことが、殆どの遊戯者に知られているのだ。
にも関わらず、多くの遊戯者は言われた通りにボタンを押す。チャンスボタンを押しまくることによって演出が変化するだけなのだ。チャンスボタンを通じた、演出との相互作用は遊戯者に快楽を与え、更に遊戯に集中させる。そのように、ギャンブル機が聴覚と視覚にだけではなく、触覚にも刺激を与えるのだ。
また、機種によってテーマが違い、演出が異なる。遊戯のメカニズムが同じであっても、コ
ンテンツが異なることにより、その遊戯の意味や「楽しみ方」が変わってくる。機種の演出や特徴等は遊戯者の記憶に強く残るのだ。そして、機種の入れ替えによって、常に新たな遊戯経験を遊戯者に提供することが重要になる。
最後に、パチンコで遊戯者を大きく支配するのは確率変動というシステムである。他のギャ
ンブルと違い、パチンコは勝ちをする確率が統一しない。遊戯中に大当たりや小当たりが出る確率が爆発的に上昇することがたまにあるのだ。確率変動中に、大当たりの確率が 10 倍まであがることが可能になっている。また機種によってその確率が異なるのだ。確率変動によって連続に大当たりを出し、大きな金額を獲得することができるのだ。その状況は連チャンという。
しかし、長く大当たりをし続けることは遊戯者に巨大な刺激を与えてしまうのだ。それ以降、遊戯者は記憶から離れないその非日常体験をまた追求する。そのような勝ちから得る快楽感こそが依存を促してしまうのだ。

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スマホゲー、ガチャと同じ仕組みですよね。本当に恐ろしいことです。

 

 

3年ほど前にも同じような話をブログに載せたのですが、3年前は「ゲームはとにかくやらせない」と書いていました。たった3年で「やらせない」は不可能、と宗旨替えしました。もう、上手にお付き合いするしかないようです。

 

ちなみにその3年前、「なぜこんなことが放置されているか」についても書いていますので興味のある方はどうぞ↓3年前なので、多少の齟齬はご容赦。

 

スマホとの距離

 

 

 

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