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現代もやもや考

どうでもいいっちゃどうでもいいんですが、勉強に通ずるところがあるかなという話です。

 

 

最近よく「モヤモヤする」「モヤっとする」という言葉、耳にしませんか?語感的には平仮名で「もやもや」の方がいいかな。

 

 

語源はおそらく「靄(もや)がかかる」でしょう。言葉自体は古くからあり、

「切々なるこころのもやもや、如何」(『名語記』1275年)(コトバンクより)

さらに、江戸期の浮世草子(という、日常や生活を題材にした小説)の「好色一代女」にも

「しどけなく帯とき掛けて、もやもやの風情見せければ」 (『好色一代女』)

と出てきますが、こちらは欲情するとかそっち系の意味で使われています。

 

さらに明治・大正期になると

「革の焦げる臭気と共にもやもや水蒸気を昇らせていた。」(芥川龍之介「寒さ」)

「・・・は自然の斥候のようにもやもやと飛び廻った。」(有島武郎「カインの末裔」)

 

など出てきますが、こちらは感情を表すのではなく文字通り「もやもやとした風景」を描写しています。

 

いずれにせよ「もやもや」は感情や情景を表す語として古くからあったようです。

 

 

さて時代は飛びまして、ごく最近「もやもや」が負の感情を表す語として頻繁に使われ出したのは、googleトレンドサーチによれば 、

(グラフは回数ではなく、最大を100とした相対値です)

 

「もやもやする」は2009年12月に検索ワードとして登場して、次に登場するのが2011年3月。それ以降はずっと検索され続けていることになります。

 

2009年は、「1Q84」「おくりびと」「マイケルジャクソン関連」の年です。

とりあえず「もやもやさまぁ~ず2」という番組が2007年に始まっています。この番組がきっかけ・・・というよりは、この頃にちょっとしたトレンドで「もやもやする」という言葉が出てきて、それに番組名が乗っかったというのが正しい気がします。

2011年3月に再登場しますが、東日本大震災(ちょうど2011年3月です)、原発関連、なでしこジャパンW杯優勝、流行語に「どや顔・絆・まるまるもりもり」の年でした。

 

 

一方「モヤる」(カタカナ)

 

2006年8月に多量に検索されているのですが、本当にすごく流行ったのか、何らかの外れ値なのか分かりません。※ただ、この頃すでに個人のブログなどで「モヤモヤする」的な表現が多く見られるので、既に「モヤる」の芽が出ていた可能性はあります。

(※外れ値というかデータのエラーだったようです)

 

その後、継続的に検索されるようになるのは2016年10月ころからです。

2016年は、ボブ・ディランのノーベル文学賞、津久井やまゆり園事件、「保育園落ちた日本死ね」、ポケGOの年です。

この「モヤる」は、2018年に、三省堂の「今年の新語」2位になっています。

「もやもやする」から遅れること約7年。言葉が簡略化、動詞化するのにかかる期間としてはちょっと長い気もします。

 

(ちなみにひらがなで「もやる」にすると、多分「野球もやる」みたいなのが引っかかってくるのでは?というグラフになっています。真相は不明ですが。)

 

 

 

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「もやもやする」という言葉、

・不快感を、

・直接的には表現しない

非常に日本人的で、都合の良い言葉だと思います。

 

特に2011年3月以降に検索ワードとして広まったとすると、震災の影響は無視できない気がします。「悲しまなければならない」「楽しいことは不謹慎である」という一種の同調圧力(確かに当時はACの広告ばかりになりましたね)が強く、心の内の負の感情を明確にするのは憚られる社会情勢だったと思います。まさに「もやもや」がちょうど良い表現だったといえるのではないでしょうか。

 

ところで、「モヤモヤする」というお気持ち表明には、

・自分を安全圏に起きつつ、

・その解釈を相手に委ね、

・言葉の曖昧さ故に「不快感の範囲」を広く類推させる

という、悪く言えば「こっちの不快感をあなたが考えて理解するべき」という、ある種ズルい言葉としての側面もあるように思います。

 

「あなたの〇〇という言い方は、△△という理由で傷ついたからやめてほしい」と伝えるべきところを、「なんかモヤッとする」みたいな感じで終わらせるわけです。

 

ということは、もし「モヤッとさせた側」にそのつもりがない場合はとても大変な事になります。何がどう不快だったか分からないので、

 

「傷つけた?」

「迷惑をかけてしまった?」

「なにがいけなかったんだろう?」

 

と、自分の非の範囲を無限に拡大させてあれこれ考えなければなりません。でも、たいていこういう場合「なににモヤッとしたか」は教えてもらえません。なにしろ、それをはっきりさせないための言葉ですから。

 

となると、何について謝るべきなのかとか、何を改善すべきなのかが分からないだけでなく、場合によっては「そういうつもりではなく、こういうことが言いたかったのだ」といった弁明の機会すら与えられない状況に陥るわけです。

 

使いようによっては「察してよ」どころか「お前が悪いんだから察しろよこの野郎」くらいな火力を持つこともあるわけです。言われる側としては非常に辛いですね。

 

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とまぁ、なんとなくの感情を「モヤッと」みたいなので終わらせてしまうのではなく、特に若いうちは自分の感情、特に負の感情についてはできるだけ的確な言葉を探しつつ、明確に伝える練習をした方がいいなぁと思うわけです。

 

 

「モヤる」に限らず、「ヤバイ」「エグい」だけでプラスもマイナスも全てカバー出来てしまうのは、それはそれで面白い現象ですし言葉というものはそういうもの(時代とともに単純化されていく)だと思うのですが、それだけでは少なくとも受験の国語では苦労するぞ、と思ったりします。

 

 

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