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文化資本

という言葉があります。

 

 

文化資本ってなに?自分の趣味や嗜好は子供に相続されるの?前編 | 未来想像WEBマガジン (mizuhobank.co.jp)

(みずほ銀行は文化資本より自分のところの資本をなんとかせーよというツッコミは置いといて)

 

 

 

簡単に言えば、お金ではない、文化や教養など(の所有や充実度)を指します。

 

 

 

文化資本はあればあるほどいいのか?

 

 

 

これは非常に難しい問いです。知らないなら知らない方が幸せ、という考え方も世の中にはあります。知っているからこその苦悩の方がはるかに大きい気も確かにするのです。

 

 

 

例えば、オーケストラの演奏を生で聴いたことがない人は、その迫力や魅力は一生知らないまま「知らなくても生きていける」と思っていられます。他方、知ってしまっている人は、家のスピーカーやテレビで聴いているだけでは物足りなく、「やっぱりコンサートホールで聴きたいな」と思ってしまいます。けれどクラシック音楽は、自分の聴きたい曲を聴きたい時に生で聴く機会にはなかなか巡り会えません。これは苦悩であり焦燥でもあります。

 

 

 

音楽に限らず、アート全般はもちろんそうですし、外国旅行や博物館・動物園・植物園などなど。そして恐ろしいことに近年では本屋で思わず手に取って買ってしまって激ハマり・・・という体験すら、どんどん消えていっています。

 

 

 

残念なこと・・・なのでしょうか。最初に書いたとおり「知らないなら知らないで幸せに生きていける社会」が日本にはあります。イオンとAmazon、youtubeとスマホゲーが世界の全て、それで十分毎日満ち足りているという人がたくさんいます。すなわち、「本だったらAmazonで何でも買える」と思いこんでしまい、その実「あなたに向けてのおすすめ」しか目にしていない。知らなかったもの・これまで興味がなかったものとの出会いは知らないまま、それで幸せに一生を終える人がたくさんいると言うことです。

 

 

 

地方に行けば行くほど、こうした人の率は高そうです。本屋も博物館もありませんから。恐らく将来、こうしたリアルな体験は加速度を増して消滅していくでしょう。

 

 

 

となると、将来の人間はどうなっていくのでしょうか。例えば数値で表すなら「100を知った、だから150知りたい、200知りたい、きっと世界には1000や10000あるだろう」という人と、「50で十分じゃん、30でも全然幸せじゃん。え?100とか1000とか知らんし考えたこともないし、生きてくのに必要ないじゃん」という人に二極化して行くはずです。

 

 

貧困の悪循環 – Wikipediaは、何もお金だけの話ではないのです。

 

 

ただ、お金と違って文化資本はなくても生きていけます。どちらが幸せなのでしょうか。難しいですよね。「幸せ」という概念は人それぞれですから。もはやこれは価値観の違いでしかありません。つまり、どちらの価値観で育つかの違いにすぎず、「運」です。どこで、いつ、誰の元に生まれたか。選ぶことのできない運です。でもどちらが正解ということはありません。

 

 

 

であれば、開智塾は「100や200、いやもっとたくさんの事を知りたい」を選びます。知る喜びと、知ってしまった苦悩・焦燥を天秤にかけたらきっと「知ってしまった苦悩・焦燥」の方が大きいと思うのですが、それでも知る喜びを取ります。なぜなら、知る喜びはもちろんのこと、苦悩や焦燥は、生きるための力を生むと思うからです。もっと知りたい、もっと出会いたいという希望は、知ることでしか生まれません。これはそのまま生きる力につながると思うのです。

 

 

「大学なんて行かなくても、芸術なんて知らなくても、十分生きていける」という「生きていけている満足」で一生を終えるか。

 

「勉強した、面白かった、もっと知りたい、もっと違う喜びを知りたい」という「何かをさらに求めて」生きるか。

 

どっちでも自由ですが、開智塾は後者だということです。

 

 

 

だから「塾なのに、そんなことするの?」ということをこれからもしていきたいと思います。とりあえず秋に美術館見学を計画しています。

 

 

 

 

 

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