嘘をつかずに有権者を誤解させる。AI時代の選挙広告
2026年11月03日
中3の皆さんは公民で習ってるところくらいでしょうか。
選挙についてです。と言っても、日本の選挙ではありません。アメリカの中間選挙です。
(※アメリカの中間選挙は、大統領の4年間の任期の折り返しに行われる選挙です。下院議員全員と上院議員の約3分の1が改選され、大統領の政権運営にも大きく影響します。次回は2026年11月3日に実施されます。)
アメリカでは、選挙運動にもAIの活用が進んでいるそうです。
候補者がAIを使って演説原稿を作るとか、動画を生成するとか、そのレベルではありません。もっと根本的なところで驚きました。
選挙陣営が、有権者一人ひとりについて、かなり詳細な個人情報を持っているのです。
日本ではちょっと考えにくい話ですよね。(※後述)
アメリカでは州によって、有権者の氏名や住所、登録政党、過去の選挙で投票したかどうかといった情報を、候補者や政党が合法的に入手できます。
もちろん、誰に投票したかまでは分かりません。そこは秘密投票です。
しかし、これに民間のデータブローカー(様々な個人情報を含むデータを合法的な範囲で売る会社)が扱う個人の購買履歴や生活習慣、所得の推定値などを組み合わせると、AIを用いてその人の政治的傾向まで推測できるようになります。
しかも、必ずしも本人が政治利用に個別に同意した情報ばかりではありません。AIは、同意した情報とそうでないデータをマッチングして分析し、有権者の関心や政治的傾向を推定することに利用できます。その結果、「あなたのようなタイプの人にマッチしたネット広告を流す」ことができるようになるわけです。
これはマイクロターゲティングと呼ばれる手法です。
もっとも、マイクロターゲティング自体はAI以前から存在します。AIによって、その分析や広告制作がさらに高度化、効率化されるという話です。
さて。
この仕組みには、個人情報の問題とは別に、民主主義にとって厄介な問題が潜んでいます。分かりますか?良かったらちょっと考えてみてください。
ひとつ、こんな視点もあるよ、ってのを書いてみます。
それは、政治家が嘘をつかなくても、有権者ごとにまったく違う政治家像を見せられるということです。
例えば、ある候補者が農業保護と環境保護の両方を政策として掲げていたとします。それ自体は別に問題ありません。
ところがAI分析により、農村部の有権者には、農業保護を訴える広告を繰り返し配信することが出来ます。
逆に、都市部の有権者には、環境保護を訴える広告を繰り返し配信したりできます。
いずれも候補者が実際に掲げている政策ですから、嘘はありません。
しかし、農村部の有権者は、「この候補者は農業を何より大切に考えている政治家なのだ」と思うでしょう。
一方、都市部の有権者は、「環境問題に熱心な政治家なのだ」と思うでしょう。
そして、実際の演説会に行ってみると、
「あれ?農業保護をすごく訴えていた(動画がいっぱい流れていた)のに、演説では全然言わないじゃないか」
ということが起こり得るわけです。
候補者は一度も嘘をついていません。
それでも、有権者の頭の中には、実際とは異なる政策の優先順位が形成されてしまう可能性があります。
政治家がある政策に賛成していることと、その政策を最優先で実行しようとしていることは、まったく別の話です。
ここは一つ重要な問題だと思います。
従来のテレビCMや新聞広告であれば、基本的には誰でも同じ内容を見ることができました。
もちろん、地域や媒体によって広告を変えることは昔からありましたが、インターネット広告では対象をはるかに細かく絞り込めます。
こうした分析によって、有権者の関心や政治的傾向に合わせ、異なる広告を制作・配信することが可能になります。
(ただし、実際にどこまで細かく配信対象を指定できるかは、広告媒体の規約によって異なります。例えばGoogle広告は、一般の企業広告については年齢、男女、収入、世帯構成、興味関心、学歴レベルなどかなり細かく絞って広告を出すことは日本でも出来ますが、政治利用については全世界で独自の厳しいターゲティング制約を設けています。)
そして、自分以外の人にどんな広告が届いているのか、普通の有権者には分かりません。
つまり、候補者は政策を変えず、発言に矛盾を生じさせずに、個人レベルで異なる政治家像を提示できるのです(先述、マイクロターゲティング)。
これは単純な二枚舌よりも厄介かもしれません。
二枚舌なら、Aさんに言ったこととBさんに言ったことを並べれば、矛盾を指摘できます。動画を二つ合成して「反対のことを言っている」とキャプションをつければいいわけですから。
実際、アメリカのMeta(Facebook)は政治広告を広告ライブラリで公開しており、異なる広告を比較する仕組みがあります。
今後はAIを使って大量の広告を照合し、候補者の矛盾を発見することも考えられます。
しかし、政策の一部分だけを強調して有権者に異なる印象を与えている場合、そこには必ずしも事実誤認がありません。あくまで「一部強調して繰り返しただけ」だからです。
ファクトチェックでは、なかなか捕まえられないのです。
では、日本はどうでしょう。(※の件)
実は日本でも、政治目的での個人情報利用は意外に広く認められています。
個人情報保護法第57条では、政党などの政治団体が政治活動のために個人情報を扱う場合、事業者に課される義務の多くが適用除外となります。政治活動の自由を保障するためです。有権者名簿の閲覧など可能です。もちろん、だからといって何でも自由にできるわけではありませんが、日本ならアメリカのようなターゲティングが絶対に起こらないと考えるのも危険でしょう。
そもそも日本人は個人の購買履歴や生活習慣まで分析して政治広告を送りつけることに対しては、相当強い抵抗感があるのではないでしょうか。
「利用されていることに気付くことが出来れば」の話ですが。
僕個人的には、日本人は個人情報の扱いに少々神経質すぎるところがあると思っています。
しかし、こうした政治的な情報利用に対しては、その慎重さがむしろ候補者陣営の暴走に対して一定の歯止めになるのかもしれません。
そもそも、選挙とは、有権者が候補者の政策や考え方を比較し、自分の意思で政治を選択する仕組みです。
そのためには、候補者が何を主張しているかだけでなく、何を重視し、何を優先するのかを知る必要があります。
有権者に合わせて説明の仕方を工夫すること自体は、悪いことではありません。むしろ、相手の関心に合わせて分かりやすく説明するのは、政治家にとって必要な能力でしょう。
問題は、その情報の出し分けによって、有権者が候補者の全体像を見失ってしまうこと、そして、それを有権者自身が検証できないことです。
AIによる政治広告の高度化を考えるとき、個人情報の保護だけでなく、誰にどんな政治広告が配信されたのかを検証できる透明性も必要になってくるのでしょう。
嘘をついているわけではない。
しかし、相手によって見せる部分を変えることで、まったく違う印象を与えることができる。
もちろんこれは選挙に限った話ではありません。
私たちは、情報が正しいかどうかを考えるだけでなく、何が伝えられ、何が伝えられていないのかまで考えなければならない時代になっているのだと思います。


