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開智塾の自習室:「探究学習」で、本当に探究しているのか。

先日、ある中学生から、学校の探究課題について相談を受けました。公民の政治分野です。割と毎年同じような話がでます。

 

で、その内容についてちょっと驚きました。詳細はふせますけど…

 

社会制度についていくつかの統計資料が配られ、異なる二つの政策のうち、どちらが望ましいか考えるというものです。

 

問い自体は悪くありません。むしろ、とても良い問いだと思います。

 

ところが、資料を見て驚きました。

 

20年近く古い統計が使われていたり、比較条件が揃っていなかったり。そもそも判断するために必要な情報が足りていません。

 

「塾長ならどっちを選びますか?」

と聞かれたので、別の解釈もできることや、何を追加で調べればよいのか、といった話をしました。そして「あくまで俺の考えだけど、」と、前置きした上で私見も述べました。

 

問い自体は上で書いたとおり悪くありません。が、経済学者や政治学者でも答えが分かれるような難しい(というか、これと言った正解がない)問題です。

 

後日、その授業がどうなったのか聞いてみました。

 

1.生徒たちが班で話し合い

2.班ごとの意見を発表(全班がA案を主張)

3.その後教師が自分の考えを説明。B案の良さをとくとくと語る

4.それを聞いて、最後に「A,Bどっち?」生徒全員「B」に変わった

 

というものでした。

 

しかし、「この資料でいいの?」と思った部分については、追加の資料を調べたりすることはなく、また、なぜ最後に意見が変わったのかを検証したりすることはなかったとのことでした。

 

もちろん、私が直接見た授業ではありませんので、実際の様子が全て分かるわけではありません。ひょっとして「全然前向きなやってくれない、意見も前の班のマネしてるだけ😭」で困った先生が一生懸命「先生の考えではね、」と語った可能性もあります。悲しいかな、中学生→高校生と学年が上がるほど、授業中ほぼ無言で絶対に自分の考えを述べない子の割合は増えます。

 

ただ、今回について聞いた限りでは、どちらの考えが正しいかという以前に、結論を出すための根拠を検討する過程が抜け落ちているように感じました。

 

これは探究学習なのだろうか。

 

以前から感じていたことですが、今回は少し批判的に書いてみようと思います。

 

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1.「考えてみよう」だけでは探究にならない

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最近、学校では「探究学習」が盛んに行われています。

僕は、この方向性自体はとても良いことだと思っています。忖度抜きで、昔より進化していると思います。先生方が少ない時間の中ですごく授業を工夫されているのは伝わってきます。知識を覚えるだけではなく、自分で問いを立て、調べ、考え、結論を導く。素晴らしいことです。

 

ただ、実際に生徒から学校の課題について相談を受けたり、配布された資料を見せてもらったりする中で、非常に気になることがあります。

 

例えば、社会問題について、いくつかの資料を示した上で、

 

「あなたはどちらが良いと思いますか?理由も含めて考えてみましょう」

 

という課題。

 

こういうものはよくあります。問い自体は悪くありません。むしろ、正解が一つに定まらない問題について多角的に考えることは、とても大切です。

 

でも、そこで配られる資料が本当に適切なのか。

 

うーーーーん

 

例えば、国による社会制度の違いを比較するのであれば、人口、経済規模、所得水準、税負担、社会保障制度など、さまざまな要素が関わってきます。

 

単純にA国の税金は高い、B国の税金は安い、A国の社会保障は充実している、という資料を並べても、それだけでは何とも言えません。

 

そもそも所得水準が違えば税負担の意味も違いますし、社会保障制度が違えば給付額の比較にも注意が必要です。

 

それに、古い統計であれば、その後どのように変化したかも調べる必要があります。

さらに、その数字が何を意味しているのか。

 

例えば、生活保護を受ける人が増えたという統計があったとします。

 

これは、生活に困っている人が増えたということでしょうか。

 

見方を変えれば、「これまで制度を利用できなかった人にも支援が行き届くようになった」といえるかもしれない。

 

どちらの可能性もあります。

 

もちろん、後者だと断定することもできません。

 

だから、調べるんです。何を調べたらいいか、ここから考えたり知識をつけることが第一歩ですよね。

 

そういうことを考えずに、いくつかのグラフを並べて「どう思いますか?」では、単なる感想文発表会になってしまいます。

 

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2.教師が選んだ資料は、本当に中立なのか

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ここは少し厳しいことを書きます。

 

生徒は、教師から配布された資料を、基本的には正しいものとして受け取ります。

 

特に中学生であれば、教師が用意した資料をわざわざ疑って、自分で原典を調べ、別の統計を探してくる生徒はそう多くないでしょう。

 

教師も、そのことは分かっているはずです。

 

つまり、教師がどの資料を選ぶかによって、生徒の思考の出発点が大きく左右されるのです。

 

同じ社会問題についても、Aという資料を示すのか、Bという資料を示すのかによって、生徒が受け取る印象は全く変わることがあります。

 

ここで怖いのは、教師自身がそのことに無自覚な場合です。教師が自身の政治信条や思想を押しつけること…ももちろんですが。

 

教師も人間ですから、当然、自分の価値観や考え方を持っています。それ自体は何ら問題ありません。私だってさまざまなことについて自分なりの考えを持っていますし、生徒に意見を求められれば、あくまで個人の考えとして答えることもあります。

 

でも、それはあくまで私個人の考えです。

客観的な事実とは区別しなければなりません。

 

もし自身の考えに一定の方向性があること自体に無自覚な場合、ちょっとやっかいなことが起こります。

 

自分の考えに合う資料ばかりがいつの間にかメインになり、教師自身に誘導する意図がなくても、結果として特定の結論に誘導することになってしまうのです。

 

さらに言えば、今回のケースのように、教師が最後に自分の考えを語ることによって、生徒の意見が変わることもあるでしょう。

 

それが論理的な検討の結果なのか、教師の権威によるものなのか。(まとめの時間帯に教師が言う言葉には権威が乗ります)

 

教師はそこまで考える必要があると思います。

 

「自分で考えなさい」と言いながら、実際には教師が用意した情報と価値観の範囲内で考えさせているだけ。

 

それでは探究とは言えないのではないでしょうか。

 

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3.「その資料だけでは分かりません」も立派な結論

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私は、探究学習で一番大切なのは、必ずしも結論を出すことではないと思っています。

 

もちろん、仮説を立て、調べ、考察して、暫定的な結論を導くことは重要です。

 

でも、調べてみた結果、「この資料だけでは判断できません」となることだってあるはずです。むしろ、そうした判断ができるようになることには大きな価値があります。

 

例えば、ある社会制度の是非を考えるとします。

 

最初は良い制度だと思った。

↓

でも、調べてみたら財源の問題が見つかった。

↓

さらに調べると、別の国では同じような制度がうまく機能している。

↓

では、何が違うのか?

↓

人口構成か。経済状況か。制度設計か。それとも国民の価値観か。

 

こうして、新しい疑問が次々と出てくる。

その中から、自分が興味を持ったことについて、もう少し詳しく調べてみる。

 

これが探究ではないでしょうか。

 

大人になっても答えが出ない問題なんて、いくらでもあります。

 

経済政策、社会保障、教育制度、国際問題。

 

専門家同士でも意見が分かれる問題はたくさんありますし、時代や社会情勢が変われば、望ましい政策も変わるでしょう。

 

それなのに、中学生にいくつかの資料を与えて、どちらが正しいか決めさせることは、本当にそこでやるべきことの優先順位一位だったのか。

 

もちろん、意見を持つこと自体は大切です。

 

ただ、それ以上に、

 

「今のところ、こう考えています。でも、まだ分からないことがあるので、もう少し調べてみたいです」

 

と言えるようになってほしい。

僕はそう思っています。それが学問の入り口だと思います。

 

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4.探究学習は、教師にこそ高い力量を要求する

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私は、探究学習は従来の知識伝達型の授業と比較し、教師により高い能力が要求されるのではないかと思っています。

 

知識を教える授業なら、教える内容はある程度決まっています。極論、台本通り、教科書通りでいいわけです。

 

しかし、探究学習ではそうはいきません。

生徒からどんな疑問が出るか分かりませんし、教師自身が想定していなかった方向に議論が進むこともあります。限られた時間内で想定した形で答えを導けないことも多々あると思います。(カリキュラムがキツすぎなんすよ、あれもこれもって)

 

そのときに、教師がさまざまな可能性を考え、必要な知識を補い、どんな資料を調べればよいか示す。

 

場合によっては、「先生もそこは知らなかった。一緒に調べてみよう」でもいいと思います。

 

「先生も思いつかない問題を発見した」

 

でいいじゃない。

 

大切なのは、教師自身が知に対して誠実であることです。

 

分からないことを分からないという。

自分の考えに合わない資料にも向き合う。

生徒が予想外の意見を述べたときに、それを否定するのではなく、なぜそう考えたのかを聞いてみる。

そして、生徒だけでなく教師自身も考えを改めることがある。

 

そういう授業なら、きっと面白いでしょう。

 

逆に、教師自身が問いの複雑さを理解していないまま、資料を配って「考えてみましょう」では、探究学習という名前をつけただけの思想の植え付けになる可能性すらあります。(昔はそういう授業、多かったなー)

 

最近はAIによって、資料の収集も、文章やグラフの作成も、驚くほど簡単になりました。

 

でも、資料を簡単に作れることと、適切な資料を作れること、客観的に検証することは別問題です。

 

AIが作った資料であっても、教師自身が出典や数字、比較条件を確認する必要があります。

 

むしろ、資料作成が簡単になった今だからこそ、教師の側に、これまで以上の資料を読み解く力が求められていると思います。

 

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5.知識を軽視してはいけない

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もう一つ、気になることがあります。

 

探究学習というと、とにかく自分で考えることが重視されます。

 

それはいいのですが、考えるためには前提となる知識が必要です。

 

例えば、各国の税制について比較するのであれば、税金の仕組みを知らなければなりません。

 

社会保障を考えるのであれば、その制度が何のために作られ、どんな問題を解決しようとしているのかを知る必要があります。

 

国際問題なら歴史や地理、経済の知識も必要でしょう。

 

そうした知識がないまま、自分の意見を述べることだけを求められても、深い議論にはなりません。

 

むしろ、探究を通して、

「こんなことも知らなかった」

「これを知らないと判断できない」

と気づくことが大切だと思います。

そうすれば、新しい知識を身につける動機が生まれます。

 

知識を覚えることと、自分で考えることは両立します。

 

知識があるから深く考えられる。そして、考えるからもっと知りたくなる。

 

本来、そういう循環を生み出すのが探究学習ではないでしょうか。

 

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6.考え続ける人になってほしい

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私は、学校の探究学習そのものを否定したいわけではありません。

むしろ、もっと良いものになってほしいと思っています。多分開智塾にきて僕と時間を過ごしてくれている子は分かってくれるのではないでしょうか。政治や宗教、思想など複雑な問題については、実は断定的に結論を示すことはほぼしません。

 

中学生に、社会問題の最適な解決策まで見つけさせる必要はないでしょう。

 

例えば、

「この資料には何が書かれていないんだろう?」

「別の考え方はできないかな?」

「もっと調べるなら、何を調べたらいいだろう?」

そんな問いかけから始めれば十分だと思います。

 

そこから興味を持ったことを一つ選んで、実際に調べてみる。

 

調べた結果、最初の考えが変わってもいい。変わらなくてもいい。

 

むしろ、最初と最後で考えが変わったのであれば、なぜ変わったのかを振り返ってほしい。

 

教師が期待した結論にたどり着く必要なんてないと思うんです。すっきりしないで終わったっていい。

 

「まだ分からない。でも、もっと知りたい」

 

それだって、立派な学習の成果です。

 

自分の考えを持つことと同じくらい、自分の考えを疑えることは大切です。「ホントにそうか?」「これで良いのか?」「他の見方は出来ないか?」「誰かがすでに調べて意見を述べてくれていないか?」といった、知に向き合う姿勢、向き合い方こそが大切だと思うのです。

 

私自身、知らないことは山ほどありますし、間違えることだってあります。だからこそ、調べますし、人の意見も聞きます。

生徒にもそうあってほしい。

 

少なくとも、私はそういう学びを大切にしたいと思っています。

 

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余談ですが、学校の探究学習でこういうことを聞いてくる子は、「どこまで考えを深めることが出来るか」という点で抜け出ていきます。もちろん、他の科目でも生きてきます。

 

この質問をしてきた子は、全県模試県内1位でした。立派です( ´∀`ノノ☆パチパチパチパチ