国語なんて読んだら分かるじゃん、の正体。そして大学入試で問われる意外な力。
2026年05月13日
勉強が「蛍雪の功」と呼ばれたのは、勉強=苦労という前提があったからです。
もちろん苦労は必要ですし、それは今も変わりません。
一方で、好奇心や探究心を持った子が大学入試において評価される時代にもなってきています。国立大学でも総合型選抜(推薦入試)が定員の3割に迫る状況。大学側も必死に「優秀な人材」を獲得しようとしていることが見て取れます。
さて、断言しますが知的好奇心や探究心を持たない子はいません。
授業中に脱線話をすると、本編より食いついてくれます。
しかし、一方で残念(?)なことに、多くの子が授業中の脱線話を「勉強とは関係ない話」として無意識に切り離してしまいます。
講師の脱線話は、息抜きのための本当の脱線ももちろんあるのですが、その日その時その問題に合わせて、そこから世界を広げるための話であることの方が圧倒的に多いです。ぜひそこに乗っかってきてほしいと思います。なぜなら、
・その方が点数が伸びるから
・入試対応力が上がるから
です。
例えば国語の問題では、「森を伐採し、河川をコンクリートにすることで自然の回復力を奪ってしまった」みたいな文章が出てきたりします。
たいていの子は「なんだこの文章、つまらないな」と思います。
目の前の点数だけ取るなら、「本文の何行目にこう書かれているからこれが正解」で済みます。で、「つまらない」と思っている子の頭には、せっかくのこの話の中身は入ってきません。
もったいないですよね。
ここから話を広げて、「森を伐採することが悪いこととは限らないんだよね」とか、「なんで河川をコンクリートにしなきゃいけないかというとさ」と話を広げてみると、ぐっと引きつけられる子が出てきます。
だって文章には、エラい先生が「自然の治癒力を下げてはいけない!」って書いている。それが絶対的に正しいはずなのに、一方で「そうは言っても、やらなきゃいけない事情だってあるのさ」という話が出てくるわけです。これは引きつけられます。
河川のコンクリートの話について言えば、治水であったり安全性であったり、そこにはそれなりの必要性があるわけです。
そこで「へー!確かにそうだな。じゃあどうやって問題を解決していけばいいんだろう?」と思える子と、「そんな話してて授業時間大丈夫ですか」と思ってしまう子では、文章そのものの理解が全然違いますよね。
とかく子どもは「裏に隠された真実」みたいな話が大好きです笑
そして、「子ども向けに書かれた【正しい世界】の薄っぺらさを敏感に見抜きます。
これが文章にぐっと引き込まれるというやつです。
エラい人の文章を読みながら、頭のどこかで常に「本当か?」「それで困る人はいないのか?」「自分だったらこう思うけどな」と考えられる子は、国語の問題の答えなんて簡単に出てきます。
だって文章に集中して色々考えているから。
これが、国語が得意な人がたまに言う
「国語なんて読んだら分かるじゃん」
ってやつの正体です
「だってこのおっさん、コンクリにすると自然治癒力がなくなるって言ってたよね。だから答えは3番」
とか。もう簡単です。
こうなってくると、授業にのめり込んでくれているから、文法だろうがことわざだろうが、説明もしっかり聞いてくれて、言わなくてもメモしてくれる授業になります。うれしい瞬間です。
ちなみに僕は、国語の文章は常に批判的に(=反対意見ばかりを言うという意味ではなく、常に検証・検討するということ)読むように気をつけています。
普段の授業中に解説として本文を読むときも、エラい人の文章が本当にその通りなのか。反対の意見はないのか。現実はどうなのか。そんなことを言いながら読んでいきます。
その話に引き込まれてくれた子は、話の続きが気になって仕方がない。これぞ勉強。
しかも、しかもですよ?これができると、正解になって点も上がる。こんないいことはないですよね!!
そして逆説的ですが、知的好奇心には、「点数が取れる」という結果も必要です。
なんぼ知識があっても、点数にならない勉強は長続きしない、これもまた真理。悲しいかな、それが現実です。そしてつまらない勉強に明け暮れなければならなくなる。
つまるところ、知的好奇心を刺激し、それをきちんと点数につなげてあげる。これ、両輪で、結構重要なことだと思います。
以前、校則についてこんな会話がありました。
「なんで学校って校則あると思う?」
「危ないことしないため?」
「そうだね。じゃあ、髪型とか靴下の色まで決める必要あると思う?」
「えー、そこまではいらなくない?」
「じゃあ、もし全部自由にしたらどうなると思う?」
「うーん・・・」
「実際、自由にすると、一部の子がものすごく派手になることがある。すると今度は『あれを買ってもらえない』とか『あのブランドじゃないと恥ずかしい』みたいな空気が出てくることもある」
「あー・・・」
「つまり、自由が良いだけでも、厳しく縛れば良いだけでもないんだよね」
「むず・・・」
「こういう、どっちにも理由がある問題をそれぞれの立場で考えられるようになると、国語の評論文がめちゃくちゃ読みやすくなるよ」
実際、勘違いされがちですが、国語は本文の筆者ではなく問題の出題者との対話です。本文は素材。それをいろいろな方向から見ながら読んでいけるという力はとても大切です。そこに、出題者との対話が生まれ、問いと回答があるわけです。
もちろん塾なので、あくまで内容は中立に。それよりも、自分で考えることや、考えるための知識をどんどん身につけてもらいたいと思って、たくさんの話をしています。持っている知識は全部出すつもりでやっています。
校則に限らず、核兵器、宗教、貧困、などなど。
これからの子どもたちが立ち向かわなければいけないさまざまな問題について、学ぶ機会はほとんどありません。
そんなのは大人になってから自分で考えればいい。そのとおりなんですが、そうも言っていられない時代になりました。もちろんきれい事を言いたいんじゃありません。大学入試には出るんです。塾で扱う理由はこれにつきます。入試に出る。
大学入試って、意外なくらいに、踏み込んでこういう問題を扱ってきます。その時に、正しい知識を持ち、自分の頭で考えた意見を言えるかどうかが問われているわけです。
まだ本格的とまではいきませんが、塾でもそういうことに対応する時代になったと感じています、という話でした。
国語を担当しているみんな、授業を楽しんでくれていたらうれしいな。
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